2019年東京マラソンコース沿いの土地や名所スポットを解説

東京マラソンを走った事がある人もない人も、マラソンコース沿いの地名名所

から江戸ー東京の歴史が見えてくる。

こんにちはランニング歴7年の一般市民ランナーわたなべです。

東京在住で東京マラソン2年連続で抽選外れているので、悔しさ半分せめて

MAP上で東京マラソンを楽しもうとコースを指でなぞってみました。

東京再発見、東京マラソンを回想しながら、東京マラソンを走っているイメー

ジをしながらこれを読んだら楽しめる!さあスタート!!



東京マラソンコース概略(順路)

【スタートから順に見ても良し、気になる場所があればクリックしてください】

0東京都庁をスタートしてすぐに

1都庁北交差点を右に曲がり新宿の高層ビル群の中を抜けていきます

2新宿駅方面に向かい新宿の大ガードをくぐります

3左手に歌舞伎町を通り越して靖国通りを走ります

4ほぼまっすぐの靖国通りを走り左手防衛省を通過

5市ヶ谷駅辺りから神田川添い外堀通りを真っ直ぐ進む

6右手法政大学付近で5km

7市谷船河原町を通過

8都庁をスタートからこの辺りまで緩やかな下り

9外堀通りの神楽坂、飯田橋駅を通過

10正面に首都高速が見える飯田橋交差点を右折

11JRのガードをくぐり目白通りに入ります

12飯田橋一丁目交差点を斜め左に進み専大通り

13西神田交差点を右折

14専大前交差点を左折して靖国通りを神保町へ

15神保町古本屋街を抜けて神田小川町

16そして神田淡路町

17須田町交差点を大きく右折

18中央通りを走り神田駅付近のガードを抜けます

19中央区に突入して日本橋室町

20そして日本橋を渡ります

21そろそろ10km

22日本橋交差点を左折

23永代通りを日本橋兜町を抜けてきます

24日本橋茅場町を通り、茅場町一丁目交差点を左折して新大橋通り

25水天宮を通り浜町中の橋交差点を左折して清洲橋通り

26右手明治座を通り越し東日本橋駅付近を抜けて一路浅草へ

27江戸通りに変わって台東区 浅草橋駅付近

28蔵前、駒形を過ぎると並木通りに入り雷門が見えてきます

29浅草雷門を右に回って折り返し

30蔵前一丁目交差点を左折して蔵前橋を渡ります

31石原一丁目交差点を右折して横綱公園付近を通過

32清澄通りの江戸東京博物館を通過して両国駅へ

33森下駅付近を通り清澄白河駅から清澄庭園

34深川から門前仲町を走り門前仲町交差点を左折

35富岡八幡宮先を折り返し蔵前橋を渡って日本橋までは来た道の折り返し

36日本橋を左折して銀座に向かいます

37京橋を渡り銀座四丁目交差点を右折

38晴海通りの数寄屋橋へ

39有楽町から日比谷交差点を左折して日比谷通り日比谷公園を通過

40新橋を過ぎて東京タワーが見えてきます

41芝増上寺 芝公園とひたすらまっすぐ

42芝五丁目交差点をやや右に進み第一京浜へ

43田町駅付近を通過、三田から高輪を過ぎて35km

44品川駅近くの高輪歩道橋を折り返し

45泉岳寺付近を通過してひたすらに折り返し

46御成門駅付近から西新橋二丁目付近で40km

47日比谷公園に戻ってきたらあと少し

48丸の内仲通りをフィニッシュの東京駅付近に向けてラストスパート

49和田倉門でフィニッシュ

50まとめ



名所スポット解説

0東京都庁スタート

2007年から始まり2013年からワールドメジャーズとなり、ニューヨークやロ

ンドン、ボストンなどと同じく大型で国際的なレースとなった。

当時の東京都知事である石原新太郎が主導で観光やスポーツの振興、経済の活

性などをうたい実現に至った。

都庁交差点を右に曲がり新宿の高層ビル群の中を抜けていきます

丸の内にあった旧都庁は老朽化から1991年に新宿に移転、丹下健三の設計で、

高層ビルが建ち並ぶ新宿副都心の中でも一番の超高層ビルとなった。税金の使

い過ぎとの意見もあったが様々な機能が集約され、また観光名所として展望台

など訪れる人は絶え間が無いようだ。

2新宿駅方面に向かい新宿の大ガードをくぐります

戦前から立体交差にはなっていたが、現在の規模になったのは1937年で、両

側合わせて車道が10車線あり初めて車で通る時はどこを走って良いものかと

うほどである。

3左手に歌舞伎町を通り越して靖国通りを走ります

言わずと知れた東洋一とも言われる歓楽街の歌舞伎町。第二次大戦後に歌舞伎

の演舞場や芸能施設を建設する復興事業計画があり歌舞伎町と名前がついたが、

結局復興事業は進まず名前だけが残った町である。

4ほぼまっすぐの靖国通りを走り左手防衛省を通過

東京都道302号新宿両国線、通称靖国通り、元々大正通りという名称だったが

戦後に靖国神社の前を通ることから靖国通りとなった。

5市ヶ谷駅辺りから神田川添い外堀通りを真っ直ぐ進む

江戸時代に城内、城下の上水確保に為に整備され全長24.6km,流域面積105㎢

と都内の中小河川の中では最大規模の神田川。そして明治以降に多くが埋め立

てられた外堀(江戸城)にほぼ沿って外堀通りが通っています。

6右手法政大学付近で5km

東京六大学の一つで日本の私学の中では最古の法学部を有する総合大学で、

箱根駅伝の常連校でもある。

7市谷船河原町を通過

8都庁をスタートからこの辺りまで緩やかな下り

9外堀通りの神楽坂、飯田橋駅を通過

神社の祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したとも、神楽が坂まで聞こえたか

らとも、重い御輿も神楽を奏すると容易に登れたからとその命名に諸説ある

神楽坂。花街の風情が残る路地は今はここでしかみられない。

10正面に首都高速が見える飯田橋交差点を右折

江戸開府前に徳川家康に周辺を案内した飯田喜兵衛という長老の功をたたえ

家康が飯田町と命名したと言われている。後に外堀をつなぐ橋が架けられ飯

田橋となった。

11JRのガードをくぐり白通りに入ります

練馬区の谷原から九段下までをつなぐ目白通り。目白駅から目白台に入った

右手に広がる大きな目白台運動公園が元田中角栄御殿の跡である。

12飯田橋一丁目交差点を斜め左に進み専大通り

一科を専修一学を専攻して学問の蘊奥を究めるという方針で創立された約140

年の歴史の専修大学。創設者の留学経験などからコロンビアやハーバード、

イェールなどの教育制度にならったものと言われている。

13西神田交差点を右折

14専大前交差点を左折して靖国通りを神保町

江戸時代は武家屋敷が立ち並び、現代では多くの大学や専門学校に囲まれ、

昔ながらの喫茶店や古くからの飲食店も多くカレー激戦区とも言われている。

15神保町古本屋街を抜けて神田小川町

明治10年頃から大学や学術関係の施設が多く造られ、それに伴い大手出版社や

印刷所や専門書を扱う書店などが広がり神田神保町古書店街という。戦中も空

襲を受けずたくさんの古書が残っている。




16そして神田淡路町

古くからの老舗名店の多い神田淡路町。そはや寿司、洋食、喫茶店など文化人

なども通ったという店で一度老舗の味を堪能してみたい。

17須田町交差点を大きく右折

江戸時代から道が八方から集まる場所、運河にも挟まれ交通の要である神田

須田町。左に曲がると万世橋を渡って秋葉原へとつながる。

18中央通りを走り神田駅付近のガードを抜けます

大正8年に開業した神田駅、JRと地下鉄合わせて1日乗車人数が約16万人

の神田。中小のビルが建ち並ぶオフィス街でコスパの良い飲食店や居酒屋

なども多い

19中央区に突入して日本橋室町

商業施設のコレドやマンダリンオリエンタル東京など近代的なビルと老舗

の商店が軒を連ねる日本橋室町。

20そして日本橋を渡ります

日本道路網の始点、明治44年に完成した現在の橋の銘板の「日本橋」の文字

は徳川慶喜のものである。

21そろそろ10km

22日本橋交差点を左折

23永代通りを日本橋兜町を抜けてきます

江戸以前はまだ海岸で江戸幕府開府によって埋め立てられ武家屋敷が立ち並

んだが、明治以降に東京証券取引所が出来てから証券の町となり日本経済の

要所の一つとなった。

24日本橋茅場町を通り、茅場町一丁目交差点を左折して新大橋通り

江戸時代は家の屋根素材である茅が多くそれを商売にする人が多く集まって

茅場町となったと言われている。現在は証券会社など多くのオフィスが集ま

るビジネス街となっている。

25水天宮を通り浜町中の橋交差点を左折して清洲橋通り

安産、子授けの神としてたくさんの参拝者が訪れる水天宮は元々福岡久留米

の藩主が屋敷内に祀ったものであるが水天宮の信仰者の多いことから一般の

人も参拝できるようになった。

26右手明治座を通り越し東日本橋駅付近を抜けて一路浅草へ

明治6年に開業の明治座、明治26年に数々の名称を経て明治座となる。歌舞伎

や新派の殿堂から数々の芸能の公演の舞台となる。

27江戸通りに変わって台東区 浅草橋駅付近

その昔はたくさんの人が行き交う浅草寺の門前橋で、今は種多様の問屋が集ま

った問屋街。一般の人の小売をしているところも多いので一見の価値あり。

28蔵前、駒形を過ぎると並木通りに入り雷門が見えてきます

馬頭観音を祀った駒形堂からの名称で本来は「こまかた」と読みます。

浅草と同様下町情緒のある場所です。

29浅草雷門を右に回って折り返し

海外でも有名な浅草雷門は何度も火災に遭い明治大正などのおよそ100年余

り今のような雷門はなかったようです。1960年に松下電器産業の松下幸之助

氏の寄付などにより改修再建され、大提灯もかけられたのです。大提灯の下

輪の「松下電器」の銘板を見ることができます

30蔵前一丁目交差点を左折して蔵前橋を渡ります

名前の通り江戸幕府の御米蔵があったことから江戸中期以降から蔵前となり

米問屋などが並ぶようになった。昭和59年に両国に移転するまで蔵前に国技

館があり相撲の他柔道やプロレスなどで賑わった。今はもの作りをしている

人やリノベーションした建物が多いことから東京のブルックリンなどと呼ば

れるとか。




31石原一丁目交差点を右折して横網公園付近を通過

「よこあみ」と読みます。関東大震災や東京大空襲の被災者遭難者などを祀

る慰霊堂がある復興のシンボルである公園です。

32清澄通りの江戸東京博物館を通過して両国駅へ

江戸から東京の歴史や文化についての資料が保存展示されていてその歴史を

学ぶことが出来る江戸東京博物館。高床式のような形状もとてもユニークな

建物です。

33森下駅付近を通り清澄白河駅から清澄庭園

かの豪商紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと言われていてその後三菱財閥創

始者の岩崎弥太郎氏が買取、現在の公園としては昭和52年に解放された。

34深川から門前仲町を走り門前仲町交差点を左折

富岡八幡宮野別当寺である永代寺の門前町として栄え、伊能忠敬、渋沢栄一

など著名な人が住んでいた土地でもある。

35富岡八幡宮先を折り返し蔵前橋を渡って日本橋までは来た道の折り返し

深川八幡宮とも言われ、江戸勧進相撲発祥の神社でもあるので、境内には横

綱力士碑に歴代の横綱の名前が刻まれている。

36日本橋を左折して銀座に向かいます

江戸時代に銀座役所が置かれ銀貨の鋳造が行われたことから銀座となり、明

治時代に文明開化の象徴的な町として発展し現在は世界有数の高級商店街と

してハイブランドの店舗が並ぶ商業地となった。

37京橋を渡り銀座四丁目交差点を右折

かつては日本橋と並ぶ名橋でもあり、東海道で最初に渡る橋として歌川広重

の絵にもなっている京橋。現在は明治やブリジストン、パイロット、清水建設、

味の素などの数多くの大企業の本社が置かれている土地でもある。

38晴海通りの数寄屋橋

江戸時代外堀に架けられた橋の一つで現在は橋はなく交差点や公園、地域の名

称として残っており、その知名度から待ち合わせなどにも使われる名称でもある。

39有楽町から日比谷交差点を左折して日比谷通り日比谷公園を通過

日比谷は江戸時代に埋め立てが進み、江戸城に向けて大名屋敷が整然と並び、

明治になってからは西洋式の建物である帝国ホテル、鹿鳴館などが造られ、

東京府庁なども建てられビジネス街へと変わっていく。

40新橋を過ぎて東京タワーが見えてきます

高さ333mの電波塔として1958年に完成した東京タワー。土日には地上150m

まで600段の階段で登ることもでき、夜のライトアップなども東京タワーの楽

しみの一つでもある。

41芝増上寺 芝公園とひたすらまっすぐ

江戸開府以降徳川家の菩提寺となり、6人の将軍とその正室、側室などが埋葬

されている。元々千代田区紀尾井町にあった増上寺だが、風水的に江戸城から

鬼門である上野に寛永寺を置き、裏鬼門の芝に増上寺を移したと言われている。

42芝五丁目交差点をやや右に進み第一京浜

第一京浜は国道15号線、また明治に時は1號國道であったため一国とも呼ばれ

る。芝五丁目交差点からは東京箱根駅伝でも使われるコースになっている。

43田町駅付近を通過、三田から高輪を過ぎて35km

高輪は江戸時代には町の中心から離れていることから諸藩の別荘が置かれ、明

治以降も著名人などの邸宅が多く今でも上場企業の社長会長が多く住む街ラン

キング1位となっている。




44品川近くの高輪歩道橋を折り返し

東海道五十三次の江戸口一番目の宿場町である品川。国道15号と357号の間に

ある道が旧東海道で、この付近は品川宿の風情をやや残しつつも近代的に変化

している場所である。

45泉岳寺付近を通過してひたすらに折り返し

討入りで有名な赤穂浪士と浅野長矩が葬られているのがこの泉岳寺。赤穂義士

記念館があったり義士祭が行われたり、今でも参拝する人が絶えないお寺でも

ある。

46御成門駅付近から西新橋二丁目付近で40km

虎ノ門は江戸城への外郭門ですが、この御成門は芝増上寺への裏門に当たります。

将軍が参詣時にはここが使われる事から御成になる門となったようです。

47日比谷公園に戻ってきたらあと少し

江戸時代は松平肥前守などの屋敷が並ぶ土地でしたが、明治時代には陸軍練

兵場となり後に野外音楽堂などを含む日本初の西洋近代式公園となりました。

48丸の内仲通りをフィニッシュの東京駅付近に向けてラストスパート

列車発着数1日3000本以上という巨大ターミナル駅、約16年をかけて建設さ

れ開業したレンガと鉄筋の洋式建築は荘厳な美しさがあります。

49和田倉門でフィニッシュ

皇居外苑にある和田倉門、和田倉という蔵があったので蔵の御門と言われ江

戸の湊からの荷物をここの蔵で保管していたと言われるところ。

50まとめ

42,195kmお疲れ様でした!

江戸、東京の見所たくさんのコースでしたね。また東京マラソンに参加する

事があれば地名や名所の由来など思い起こしながら走ったら楽しくラクに走

る事ができるかも?!

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